12章  雁(カリ、ガン)

 

現在の野鳥図鑑には、雁(カリ)、雁(ガン)の記載はない。雁(カリ)、雁(ガン)はカモ目カモ科の水鳥で、マガン、ヒシクイ、カリガネが相当しているという。万葉集では、雁(カリ)または雁が音(カリガネ)と呼ばれており、マガン(65-86cm)、ヒシクイ(78-100cm)、カリガネ(53-66cm)と明確に分類されている訳ではない。雁が音(カリガネ)は雁の鳴き声だったり、雁を表していたりして、明確ではない。

 

日本には、雁は10月下旬から11月上旬に北方から飛来して3月中旬から4月上旬までいる。このために雁が飛んでくると萩が散ったり、紅葉するという歌が多い。また、春にツバメが飛んでくるころになると、雁が故郷にむかって飛び去るというような季節を感じる歌も多い。

 

万葉集では、雁の歌は、66首あり、これは、不如帰の歌に次いで2番目に多い数である。かつては多数生息していた鳥であるが、現在は、一部の限られた地方にしか生息せず、捕獲が禁止されている。

 

万葉集で、雁の歌が多数現れる理由は、歌会の題目として多数取り上げられていたことが関係していると思う。そのために雁の歌は、万葉集の中に偏在しており、雁の歌が歌われる部分では、多数の雁の歌が現れます。この多数の作者不明の歌は、風景をそのまま読んだ分かり易い歌が多いが、大伴家持や柿本人麻呂の歌では、少し難しい歌が多い。その他の名前のある人の歌では歴史を感じさせるものがある。

 

 

12.1 万葉集 182・948

 

第2巻182

鳥座立て 飼ひし雁の子 巣立ちなば 真弓の岡に 飛び帰り来ね


とぐらたて かひしかりのこ すだちなば まゆみのをかに とびかへりこね
意味: 
鳥小屋を作って 飼っている雁の子 巣立ちしたなら 真弓が生えている岡に 飛んで帰りなさい
作者: 
草壁皇子の舎人、この歌のタイトルは「皇子の尊(みこと)の宮の舎人等、悲しびて作る歌23首」となっている。この歌以外にも22首があり、草壁皇子がなくなった時に、彼の部下達が悲しんで作って歌です。

草壁皇子は、天武天皇の正妻の鸕野讃良皇后の子であった。鸕野讃良皇后としては、草壁を天皇にしたいと思ったが、その若さと、草壁皇子の競争相手となるやはり、天武天皇の妻で、鸕野讃良皇后の姉ですでに亡くなっている大田皇女の息子である大津皇子を暗殺した直後であるために、内部的反感を考慮してか草壁皇子を天皇にしないで、鸕野讃良皇后自身が持統天皇として即位した。しかし、皮肉なことに草壁皇子は、その後も天皇になることなく、持統天皇3年(689年)には薨去した。このときの草壁皇子の死を悲しむ歌がこの23首の歌である。
真弓は、樹木の名前で、幹が弓の材料になった。樹皮からは、紙が作られた。

第6巻948

この歌は12.1章、17.2章、21.1章で取り上げられていますが、同じ内容を載せておきます。
1   ま葛延ふ 春日の山は          まくずはふ かすがのやまは
2   うち靡く 春さりゆくと         うちなびく はるさりゆくと
3   山の上に 霞たなびく          やまのへに かすみたなびく
4   高円に 鴬鳴きぬ            たかまとに うぐひすなきぬ          
5   もののふの 八十伴の男は        もののふの やそとものをは
6   雁が音の 来継ぐこの頃         かりがねの きつぐこのころ 
7   かく継ぎて 常にありせば        かくつぎて つねにありせば
8   友並めて 遊ばむものを         ともなめて あそばむものを  
9   馬並めて 行かまし里を         うまなめて ゆかましさとを
10  待ちかてに 我がせし春を        まちかてに わがせしはるを
11  かけまくも あやに畏し         かけまくも あやにかしこし
12  言はまくも ゆゆしくあらむと      いはまくも ゆゆしくあらむと
13  あらかじめ かねて知りせば       あらかじめ かねてしりせば
14  千鳥鳴く その佐保川に         チドリなく そのさほがはに
15  岩に生ふる 菅の根採りて        いはにおふる すがのねとりて
16  偲ふ草 祓へてましを          しのふくさ はらへてましを
17  行く水に みそぎてましを        ゆくみづに みそぎてましを
18  大君の 命畏み             おほきみの みことかしこみ
19  ももしきの 大宮人の          ももしきの おほみやひとの
20  玉桙の 道にも出でず 恋ふるこの頃   
たまほこの みちにもいでず こふるこのころ

意味:
1   美しい葛が張り渡る 春日山は
2   草がうちなびく 春が去りゆくと
3   山の上に 霞がたなびき
4   高いところの窓で ウグイスが鳴く          
5   朝廷に仕える 多くの役人は
6   北へ帰る雁の 次々と通うこのごろ
7   このような日が続いて これといった変化がなかったから
8   友と並んで 遊んだものを  
9   馬を並べて 行った里を
10  待つことができない 私の春を
11  心にかけて思うことも 恐れ多いことです
12  口に出して言うのも 恐れ多いことです
13  事の起こる前から 前もって知っていれば
14  千鳥が鳴く その佐保川(春日山を源流として初瀬川から大和川に流れる)に
15  岩の上に生える 菅(すげ、田の神の宿る神聖な植物)の根を採って
16  思い思いの草を お祓いをしておけばよかったのに
17  流れ行く水で 体を洗い清め
18  天皇の 仰せを敬って慎み
19  宮中の 宮廷人が
20  玉鉾の 道にも出ないで 天皇を恋ふるこの頃です。

作者: 

この 歌の作者は不明です。727年(神亀四年)の春正月に、諸王・諸臣子等に勅(みことのり)して授刀寮(天皇の身辺を守る舎人の寮)に散禁(出入りを禁じる)せしむるときに作る歌となっています。このままでは意味が良く分かりません。しかし、この歌には、次のような反歌とが付いています。


 6巻949

梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に 遊びしことを 宮もとどろに

 

うめやなぎ すぐらくをしみ さほのうちに あそびしことを みやもとどろに

意味:

梅や柳の 盛りが過ぎてしまうことを惜しんで 佐保の内で 遊んだことが こんなに宮中を騒がすことになった
作者:
さらにこの反歌には、次のような説明が付いています。この歌は神亀4年の正月に数人の王子と諸臣の子たちが春日野に集いて打毬の遊びをした。その日たちまちに天が曇り、雨が降り稲光がした。この時に宮中に侍従と侍衛(天皇の警護をする人)とがいなかった。天皇は勅して刑罰を行い、みな授刀寮に解禁させ、道路にでることができないようにした。そのとき、鬱陶しく感じて、この歌を作った。
以上の説明があると歌の意味が良くわかる。ちょっとしたストレス発散のために皆で遊びに出たら、天皇の怒りに触れて授刀寮に閉じ込められてしまった。憂鬱なことよ。と歌っているのである。
玉鉾は、道にかかるまくら言葉であるが、意味は不明とされる。個人的には、出世の道的な理解が良いと考えている。

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